曇天のいつか快晴日記

日々起きるモヤモヤな出来事を感じるままに。

プライドという厄介なもの

感覚的だが、少しづつ本質に近づいてる気がする。

 

■人生で求めたいものの列挙

1.すごいね、って言われたい。

2.家族と健やかに笑顔で過ごしたい。

3.お金持ちになって、欲しいものを得たい。

4.楽してそれらを最短で得たい。

 

■そのための手段と使えそうな経験

1.ビジネス英語力(アメリカ駐在経験)

2.独立経験→潰してしまったものの。。

3.管理職として、数十名単位のマネジメント経験

4.一応IT業界という、ホットな業界にいる

 

こうやって、自分の心と実力を見て、過信する。

40代後半になって、こんな経験者は、そんなにいないだろ!って過信。

 

過去4年ほど、自分の価値を知りたくて、数社転職面談をしてみた。

ほとんどの場合、数回の面接までは進むが、最終的に受かったところはひとつもない。

お試し受験的な軽い気持ちで始めても、進むにつれ、だんだんと本気に。そして、その都度、落ち込む。

縁がなかったんだな、と自分に言い訳をして。

 

前向きな心で生きるように心がけ始めて数日。ちょっと自分の中で少しづつ考え方が変わって来た。

過信=身の程知らずのポジションでの応募だったのだな。と。

 

プライドが邪魔をして,全てを満たすような会社やポジションでないと、なんて思ってた。

だから、そんなところしか受けなかった。

 

安売りはしたくない。

でも、気がついてみれば、この年齢と経験だと安売りしか売れることがないのかもしれない。

 

先の「すごいね、って言われたい」。

これって、単純にプライド。

他の求めたいことは、他の手段でもできる。

 

自分を安売りしたって、自分の中の捉え方次第。

他が充実できるなら、それでいいのかもしれない。

SNSマーケティングという、新しい未知のものの入り口に立とうとしているのがそう言うことじゃないか!

 

まだ、完全に割り切れている訳ではないが、そんな風に思い始めている。

だからこそ、その一歩を踏み出そうとしているのだ。

 

 

 

 

 

 

占いとその後

約20年前、最初に会社を辞める前のときのこと。実はその半年前に人事異動があり、元のチームを離れることになった。

 

チームメンバーには、内緒ではあったが、実はその時点で退職をある程度決意していた。

メンバーが、人事異動ということでの大々的な送別会を開いてくれた。100人ほどいただろうか。

 

宴もタケナワのなか、あるメンバーの1人が、私の横に来て、趣味の占いをすると言う。

そのメンバーとは、それまでほとんど会話もしたことのなかったが、突然。

 

「ドンテンさんは、今、大きな決断をしようとしてますよね?」

 

「はい」

 

「その決断は、まだ決めてないものの、迷ってますね?」

 

「はい」

 

「ひとつだけ伝えさせてください。ドンテンさんにとって、それは行くも地獄、留まるも地獄です。」  

 

「。。。(ドキッ)」

 

まだ、当時は自分も若く、何でもできる!と思ってた。ダメならダメで、また何か探せば良いと思っていた。

 

「よしわかった。ありがとう。どうせ地獄なら前に進むことにするよ。」

 

その後、僕に起きたこと。

行った先が、倒産間近に陥って、給与遅配など発生。その後も、彷徨いながら、なんとかキャリアを積み重ねつつ、でも、思っていた自身の立場や状況は作れていない。

もし留まっていたなら。。それはそれであったのだろう。

 

行くも地獄、留まるも地獄。

 

その後、彼とは一度もあってないが、時折その時の言葉が頭をもたげる。

 

あの時よりも家族など守るものも増えた。

乱暴な判断やダイナミックな行動が出来づらくなった。

 

改めて思う。

それでも地獄は嫌だ。

本当にここは地獄か?

自分の地獄の定義は?

 

ありたい姿は、自分らしく伸びやかに心が健康であること。+家族を守れること。

 

それ以外は地獄なのかな。

欲張りすぎ?人生欲張って何が悪い?

 

地獄って言葉は強烈だが、今の自分を脱却したい。

 

一歩前へ。

進まねばならない。

進んでみよう。

 

今、思った通りに評価されないのは、やっぱり何かが足りないんだ。

だったら、その評価を一回受け入れてみようかな。

泥臭くても、キャリアダウンに見えても、プライド捨てて受け入れることからなのかもしれない。

 

占い。。

元々全然信じてないが、これだけは、忘れられない占いの結果だ。

 

 

 

自負と自信と過信

小さい頃から、「俺は本気出せばなんにでもなれる」と思っていたタイプ。

 

それでいて、何事も突き詰めることなく、部活、趣味も中途半端な取り組み方が多かった。

 

口先では、根拠もないがマトモらしきことを言うので、まさに「俺はまだ本気を出してないだけだ」を自でいく10代のころ。自負である。

 

なにも本気で取り組めない奴だった。

 

就職活動もそんな感じで取り組み、運良くその後大きく成長するIT企業に合格。

 

でも、「俺はこんなもんじゃない」って勝手な自負で社会人生活をスタートさせ、そのように送ってきた。

 

逃げることのできない仕事の中で、初めて「俺にはこんなことができる」ってことも少しづつ見つかることで、根拠のない自信が「人よりもできて、認められている」って確信=過信になったのでは?と思う、40代後半。

 

気がつけば、40を超えたあたりから、徐々にトップ昇格や仕事の最前線ではなくなってきている。

 

組織って、意外とドライ。

 

というか、今思えば「甘ったれてた」だけなんだ、と思う。

 

組織には、公平性が求められ、リーダーが組織運営する上で必要な人材を適したポジションに配備する。表向き。

 

僕は、割と上司先輩には可愛がってもらえる方だった。「甘え」上手だったのかもしれない。

 

けれども、この「甘え」が「甘ったれ」になってしまった自分に気が付かなかった。

 

これが、過信である。

 

仕事は上司の信頼のもと、自信を持って取り組み、結果を残してきた。。つもりだった。

アイツと比較しても負けてない。。と思っていた。

 

けれども現実は、同期に抜かれ、後輩に追いつかれ、という有様。

 

自分自身のこの数年を反芻する。

本当に本気だっか?余力ないか?サボってないか?

きっと、見透かされていたんだろう。

俺は何事も中途半端。

適度に手を抜いていた事実も否めない。

 

表向きは、与えられた以上のことをこだわって仕事する。

実情は、薄く広く器用にこなす。

 

過去にあった俺はこんなもんじゃないって自負

実際仕事してみて得られた信頼における自信

それが、見透かされていたことに気が付かなかった過信

 

どれも、自分の中にあるもの。

自分をもっと客観的に見て、謙虚に生きることを痛切に感じる。

 

それが、これから自分の力で生き抜くためには必要だとも思う。

人とは比較せずに、自分自身の「」と向き合いたい。

 

 

貯蓄と投資と豊かな生活

今日はお金の話。

 

40代に差し掛かったころ、妻と些細なことから喧嘩になった。

その当時の原因は詳細に覚えてないが、妻とのけんかの原因はいつも僕にある。

「自分らしく生きれてない自分にイライラし、何か理由をつけてあたる」

ということからだ。

別に声を荒げることはしないが、ネチネチ嫌味らしきことを言ってしまう。

 

結局人のせいにする僕の最大の欠点だ。

 

その日まで結婚生活8年目。家計管理もすべて妻に任せ、自分に幾らお金があるとか、何にどのくらい使っているのかなど全くわからなかった。

 

喧嘩の流れで、妻から

「そんなに自由になりたいなら、まずは家計を知るところからやってみれば?そんなにうちは余裕ないよ。」

と。

 

じゃあやったろうじゃないか。

 

で、始まった夫による家計管理。

毎月の出費と収入を可視化し、エクセルで管理し始めた。

確かに当時貯金は100万程度。それ以上何もない(投資も当時はゼロ)。

子供もまだ3歳。

こりゃまずい。

 

ポイントが当時高額だったTポイントがたまるよう集約し、生活水準が下がらない程度の節約をし続け、さらには投資信託・投資用マンション購入などを開始し、早7年、下記のような状況になった。

 

◆2015年4月◆

(資産)

貯金:150万

(負債)

マンションローン:3500万

 

資産‐負債=▲3350万

 

◆2022年4月現在◆

(資産)

貯金:250万

投資信託(インデックス・毎月7万):630万

株:800万

ヘッジファンド:130万

(負債)

マンションローン:5900万

投資用マンションローン(年間約15万程度のマイナス):1億

カーローン:230万

 

資産‐負債=約▲1億4250万

 

そう。

1億円以上も借金を増やしている。

(もちろん、投資用マンションは収入もあるが)

 

これで、「自由な生活」って。

反面、日に日に自由で豊かな生活とのGAPを感じている。

このペースでいっても、60歳になってもおそらく資産が負債を上回ることはない。

 

40代後半で、新しい世界に飛び込もうと思ったきっかけ。

ギャンブル的な投資はもう若くないし、それはそれで守るものもある。

ってなると、プロアクティブなアクションで、「どうやってさらに収入を上げるか」。

それは、副業なのか、転職なのか。

こういったマインドで転職してもあまりいいイメージがつかない。

副業だ。

 

これが、私がSNSを通じた新しい世界に触れることで、自由で豊かな生活を目指そうと思ったきっかけである。

 

 

新年度。

今日から新年度。

 

心機一転。

 

がない。

 

担当の組織も役割も何もかも一緒。

一つ変わることと言えば、大の苦手な上司に変わる。

社長からの信任は厚いが、部下からは最悪。以前、プチクーデター的な形で組織を追い出されたはずの人が、また舞い戻ってきた。

 

朝から一つでも、なにか心が晴れやかになることを、と、心のアンテナを立てながら出勤前のルーティンをこなす。

 

出発直前に起きてきた妻の目線がゴミ袋を追っているので、先回りして、ゴミ袋をまとめる。そう、こう言う時に先回りすると妻ポイントがあがる。

 

すると、

 

「ゴミ、まだあるから、やらないで。と言うか,朝から、歯磨きどきの嗚咽がうるさくて起きちゃうんだけど」

 

そう。

こうやって新年度が始まっていくのだ。

まもなく48歳。

 

こうやって年を重ね、モンモンとしている間にあっという間に社会的バリューを失っていく。

 

先日、上司からは、色々あるけど、人生焦るな、と言われた。

 

心をコントロールし、一生懸命ものごとに向き合う毎日の先に、自然となにか素晴らしいことが晴れやかに待っている、そんな年度であれば嬉しい。

 

他力本願だけど?

 

ヒラメ社員とプロサラリーマン

上司との面談で、君はヒラメ社員と一部で言われている、と言われた。

 

年度評価のフィードバックでの出来事だ。

 

ヒラメ社員とは,上司や位の上の人間ばかりをみて、現場をおざなりにする社員のことだそうだ。

 

上司曰く,管理職たるもの、少なからず会社や上司の顔色を伺いながら立ち回ることが必要な能力であり、特段気にする必要ないよと言う。

 

驚きだった。

 

自分自身は、25年近くの社会人生活の中で、どちらかと言えば、反体制というか、できる限り現場に寄り添い、若気の至りという言い訳をカサに、思っていることを率直に意見し、また、現場目線で若い人材とも公私共に付き合ってきた自負があった。

むしろ、そのこと自体の方が、自分がプロのサラリーマンになりきれない最大の要因とも思っていたくらいだ。

 

客観性の欠如である。

 

上司は、このまま自分を信じてやり続けて、全く問題ない、という。プロサラリーマンとして。

 

果たしてそうだろうか?

 

同レベル(同じくらいの役職)の人間は、少なからず、役職があがったりしている中,私の欠点らしき欠点はこれしかない,と言う。

 

そのまま鵜呑みにして良いのだろうか?

 

人生焦る必要なく、見てる人は見てるよ,ってことだったが、実際は本当に見てもらっているのか?

 

ってなことを、真面目に悩む自分。

結局は、誰かと比較し、会社からの評価に一喜一憂している自分から抜け出せない。

 

曇天は、まだ晴れないなー

 

 

 

 

 

 

 

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今年77歳になる父がいる。

 

父は、国立の一流大学を卒業し、大手マスコミに就職、40年以上会社に貢献し、最終的には役員にまで上り詰めた、いわゆる「サラリーマンとしての成功者」と思しき人間だ。

高度経済成長期に、現場でシャカリキに働き、出世競争も繰り返しながらその立場を得たんだと思う。

私が子供のころは、通り一遍の「家庭を顧みない父親」であり、家族旅行に行くとか、外食ですらほとんど記憶がない。

 

そんな彼に転機が訪れたのは、50代前半。心臓病に侵され、1か月程度の休暇を余儀なくされる。父は、家庭内厳戒令のように、その病気のことは、他言禁止。特に会社の人には絶対に言うな、という情報統制を行った。どこかで聞きつけた会社の同僚がお見舞いに来るといっても、入院していないかのような返答をし、門前払いをした。

 

出世競争に病気はタブーであった、ということなのだ。

生き馬の目を縫うような出世競争で、所属派閥やちょっとしたミスが大きな足枷になる。

 

父は、それを会社側にも伝えないことで、すぐに生存競争へ舞い戻る気満々で療養していた、ということなのだ。

 

しかしながら本人の意図通りとはいかず、結果としては会社に判明し、その後数年かけて徐々に出世競争から脱落してしまったようだ。

 

定年後も65までは、嘱託社員や子会社の役員などを歴任し、その後は老後生活ということで、母と2人で「ほそぼそ」と暮らしている。

 

この「ほそぼそと」が今回のキーワード。

 

前述の通り、学歴社会・社会人としての生存競争もある程度勝ち抜いてきた父。

しかしながら、「貯蓄」が大の苦手な人間で、母も同様。

一流企業で40年近く勤めれば、都内に立派な戸建てや、外車、海外旅行などを想像するが、我が家の場合は、「都心の郊外(都心まで1時間半以上)に小さな戸建て」くらいしか、資産のようなものはなく、貯蓄も贅沢できる程度のお金もない。これも前述の通り、その間贅沢もしてきていない。投資で失敗した話も聞いたことない。

子供だった私は、なぜこんなにお金がないのか、いまだに知る由もないが、いつも「うちにはお金がない」と言われて育ってきた。

 

10年近く前、定年退職を迎えた際残っていたのは、少額の貯蓄(借金もそこまでないが)のみで、むしろ家庭を顧みてこなかったつけで、これから夫婦二人で生活していかねばならないことに、特に母は強烈な恐怖を感じ、精神的に病に侵されて、入院をしてしまった。

 

父の歩んできた道は、正しかったのだろうか。

何を目的に、生きてきたのだろうか。

 

当時30代後半を迎えていた私は、反発しながらもどこか「憧れていた」父に対して、その生き方に対して、釈然としない思いに駆られた。

 

ある時、父にそれを直接ぶつけたことがある。

 

すると「仕事なんて楽しくない。勉強だって楽しくない。あるのはだれかとの競争で負けたくない。という気持ちだけだ」といった。

 

そして残ったのは、母との「ほそぼそとした」生活のみ。

人生に対する空しさだけが残る、と。

 

その後も父自身は自己研鑽などを積んで、新しい自分を作り出そう、なんてことを考えていたようだが、年齢を重ねるごとに「あきらめ」と「面倒」が勝ってしまうようだ。

 

日々そんな中でも、小さな楽しみを見つけようとはしているようだが、僕自身もなんとなく父と似ているところがあり、このままだと父と同じような人生を歩んでしまうような気がする。

認めるのが正解だが、認めたくない。

 

そんな40代後半の現在地である。