曇天のいつか快晴日記

日々起きるモヤモヤな出来事を感じるままに。

自負と自信と過信

小さい頃から、「俺は本気出せばなんにでもなれる」と思っていたタイプ。

 

それでいて、何事も突き詰めることなく、部活、趣味も中途半端な取り組み方が多かった。

 

口先では、根拠もないがマトモらしきことを言うので、まさに「俺はまだ本気を出してないだけだ」を自でいく10代のころ。自負である。

 

なにも本気で取り組めない奴だった。

 

就職活動もそんな感じで取り組み、運良くその後大きく成長するIT企業に合格。

 

でも、「俺はこんなもんじゃない」って勝手な自負で社会人生活をスタートさせ、そのように送ってきた。

 

逃げることのできない仕事の中で、初めて「俺にはこんなことができる」ってことも少しづつ見つかることで、根拠のない自信が「人よりもできて、認められている」って確信=過信になったのでは?と思う、40代後半。

 

気がつけば、40を超えたあたりから、徐々にトップ昇格や仕事の最前線ではなくなってきている。

 

組織って、意外とドライ。

 

というか、今思えば「甘ったれてた」だけなんだ、と思う。

 

組織には、公平性が求められ、リーダーが組織運営する上で必要な人材を適したポジションに配備する。表向き。

 

僕は、割と上司先輩には可愛がってもらえる方だった。「甘え」上手だったのかもしれない。

 

けれども、この「甘え」が「甘ったれ」になってしまった自分に気が付かなかった。

 

これが、過信である。

 

仕事は上司の信頼のもと、自信を持って取り組み、結果を残してきた。。つもりだった。

アイツと比較しても負けてない。。と思っていた。

 

けれども現実は、同期に抜かれ、後輩に追いつかれ、という有様。

 

自分自身のこの数年を反芻する。

本当に本気だっか?余力ないか?サボってないか?

きっと、見透かされていたんだろう。

俺は何事も中途半端。

適度に手を抜いていた事実も否めない。

 

表向きは、与えられた以上のことをこだわって仕事する。

実情は、薄く広く器用にこなす。

 

過去にあった俺はこんなもんじゃないって自負

実際仕事してみて得られた信頼における自信

それが、見透かされていたことに気が付かなかった過信

 

どれも、自分の中にあるもの。

自分をもっと客観的に見て、謙虚に生きることを痛切に感じる。

 

それが、これから自分の力で生き抜くためには必要だとも思う。

人とは比較せずに、自分自身の「」と向き合いたい。