曇天のいつか快晴日記

日々起きるモヤモヤな出来事を感じるままに。

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今年77歳になる父がいる。

 

父は、国立の一流大学を卒業し、大手マスコミに就職、40年以上会社に貢献し、最終的には役員にまで上り詰めた、いわゆる「サラリーマンとしての成功者」と思しき人間だ。

高度経済成長期に、現場でシャカリキに働き、出世競争も繰り返しながらその立場を得たんだと思う。

私が子供のころは、通り一遍の「家庭を顧みない父親」であり、家族旅行に行くとか、外食ですらほとんど記憶がない。

 

そんな彼に転機が訪れたのは、50代前半。心臓病に侵され、1か月程度の休暇を余儀なくされる。父は、家庭内厳戒令のように、その病気のことは、他言禁止。特に会社の人には絶対に言うな、という情報統制を行った。どこかで聞きつけた会社の同僚がお見舞いに来るといっても、入院していないかのような返答をし、門前払いをした。

 

出世競争に病気はタブーであった、ということなのだ。

生き馬の目を縫うような出世競争で、所属派閥やちょっとしたミスが大きな足枷になる。

 

父は、それを会社側にも伝えないことで、すぐに生存競争へ舞い戻る気満々で療養していた、ということなのだ。

 

しかしながら本人の意図通りとはいかず、結果としては会社に判明し、その後数年かけて徐々に出世競争から脱落してしまったようだ。

 

定年後も65までは、嘱託社員や子会社の役員などを歴任し、その後は老後生活ということで、母と2人で「ほそぼそ」と暮らしている。

 

この「ほそぼそと」が今回のキーワード。

 

前述の通り、学歴社会・社会人としての生存競争もある程度勝ち抜いてきた父。

しかしながら、「貯蓄」が大の苦手な人間で、母も同様。

一流企業で40年近く勤めれば、都内に立派な戸建てや、外車、海外旅行などを想像するが、我が家の場合は、「都心の郊外(都心まで1時間半以上)に小さな戸建て」くらいしか、資産のようなものはなく、貯蓄も贅沢できる程度のお金もない。これも前述の通り、その間贅沢もしてきていない。投資で失敗した話も聞いたことない。

子供だった私は、なぜこんなにお金がないのか、いまだに知る由もないが、いつも「うちにはお金がない」と言われて育ってきた。

 

10年近く前、定年退職を迎えた際残っていたのは、少額の貯蓄(借金もそこまでないが)のみで、むしろ家庭を顧みてこなかったつけで、これから夫婦二人で生活していかねばならないことに、特に母は強烈な恐怖を感じ、精神的に病に侵されて、入院をしてしまった。

 

父の歩んできた道は、正しかったのだろうか。

何を目的に、生きてきたのだろうか。

 

当時30代後半を迎えていた私は、反発しながらもどこか「憧れていた」父に対して、その生き方に対して、釈然としない思いに駆られた。

 

ある時、父にそれを直接ぶつけたことがある。

 

すると「仕事なんて楽しくない。勉強だって楽しくない。あるのはだれかとの競争で負けたくない。という気持ちだけだ」といった。

 

そして残ったのは、母との「ほそぼそとした」生活のみ。

人生に対する空しさだけが残る、と。

 

その後も父自身は自己研鑽などを積んで、新しい自分を作り出そう、なんてことを考えていたようだが、年齢を重ねるごとに「あきらめ」と「面倒」が勝ってしまうようだ。

 

日々そんな中でも、小さな楽しみを見つけようとはしているようだが、僕自身もなんとなく父と似ているところがあり、このままだと父と同じような人生を歩んでしまうような気がする。

認めるのが正解だが、認めたくない。

 

そんな40代後半の現在地である。