曇天のいつか快晴日記

日々起きるモヤモヤな出来事を感じるままに。

40代後半の中間管理職がブログを始める。

 

f:id:another40:20220316113550j:plain


今回は、一発目なので自己紹介がてら40代後半のおじさんが、どうして初めてブログなるものを始めてみようかと思った動機について書きたいと思う。

40代も後半に差し掛かり、僕の人生はこのままでよかったのかな。。ってこの数年特に感じる。

それなりに責任ある立場で経済的にも一応安定しているし、家族も不自由なく暮らしている(はず)。

社会人になった25年近く前、抽象的だがもっと大きな人物になりたいと思っていた。かっこいいおじさんになりたかった。仕事で実績を積み、途中でベンチャー企業へ転職したり、小さな自分の会社を作ってみたりもした。結果として会社をたたむことにはなったが、以前の会社に呼び戻され、中間管理職として仕事をしている。その後も自己研鑽なるイメージで、資格を取る勉強をしたりもした。

周りの人間は、いわゆる多くの社会的成功者がいる。人と比較してもしょうがないとわかりつつも、どうしても悔しいとか自分が情けないと思うことがこの数年間で何度もある。

 

でもふと考えてみた。

自分にとって一番楽しいと思える瞬間ってなんだろう?

趣味?家族との団らん?気のおけない友人とのお酒?

月並みだが、僕が楽しいと思えるのはそういった時間だ。

そこには、仕事はない。

思い返せば、自分自身仕事が心から楽しくて、一生こうやって生きていきたいなんて思ったこともなかった。

「仕事ができる→社会的地位・収入が上がる→人から尊敬されたい」

こんなロジックで、常にだれかと比較し、その上位に立つことで自尊心を満たそうと思っていただけだ。

その仕事自体は、一定の責任感と自分の自尊心のためにやってきたので、楽しくない。

だから、社会人なり立ての時に思い描いていた通りになっていない人生を振り返ると、なんと空しく、自分が楽しい人生を描けていないのだ、とこの数年痛切に感じてきた。

 

そんな折、フミコフミオさんのコラムを読んだ。ご存じの方も多いと思うが、私とは同世代で、同じく昼間はサラリーマン、一方で人気ブロガーの方だ。

そこには、「映画のBADMANのように、もう一つの自分を作ることで、心が安定し、表の自分にも好影響を及ぼしている」というものだった。

 

これだ。

 

50歳もそろそろ見えてくる中で、会社にしがみつき、下げたくない頭を下げ、残りの人生を送るのも、本当の自分というもう一つの顔があればやり続けることができるかもしれない。

 

性格上、満たされるなんてことは本当はできないのかもしれない。

けれども、自分の感じることをさらけ出してくことで、少し何かのきっかけになれば、と決意し始めてみることにした。

 

今後散文形式で出来事などを思うままに感じるままに、おじさんが書いていこうと思う。

どなたかの、何かに共鳴していただけることがあったら、甚幸である。f:id:another40:20220316113656j:plain